インディオの村での滞在では、高床式木造の宿泊施設のなかにめいめいハンモックを吊るすかテントを張りました。
村の建物。宿泊施設もこんな感じ。 太陽光発電があります。 |
この川の水は、住民の生活用水。最初に流した水もここの川から汲んでいます。食器を洗うのも、シャワーというか行水をするのも、使用後の水が流れて行くのも、すべてこの川なんです。
村の生活を支える川。魚もとります。 |
シャワーは川に行って直接自らを洗ってもよし、小さなシャワー小屋に入り、たらいにためた水(川からの)を使ってもよし。村の人が貯めてくれていた水がなくなると、自分の使う分の水を自らバケツに入れて運び入れます。そして、この水で、髪と体を洗います。水を使いすぎると、裸のまま川に汲みに行くのは恥ずかしいし面倒なので、1杯のバケツの水を計画的に使わないといけません。石けんの泡立てからすすぎと周辺の掃除まで。
数日間の滞在の後、首都に帰り、シャワーを浴びました。清潔なお湯が(まれに茶色の水のときもありましたが)蛇口をひねっただけで出てきます。気づくと、シャンプーの間、ほぼずっと蛇口をひねることなく水を流し続けていました。いったいどれだけの水を使ったのでしょう。
アメリカでの寒い冬の日のシャワー。体を温めるだけのためにお湯をしばらく浴び続けていたことも思い出しました。蛇口をひねると水やお湯のでる便利な都市の生活で、わたしたちはついたくさんの水を使ってしまっています。
「地球の水が危機的な状況にある」「使わない時は蛇口を閉める」と頭でわかっていたつもりでも、日常生活で自覚をして行動することは、なかなか難しいようです。水は蛇口をひねるという簡単な動作だけで得ることができるからです。そして水は排水溝から流れて行ってしまうので、どれだけ使ったかを知るのもわかりづらいからです。わたしはしばらくの間は、バケツに水を汲んでから使い、どれだけ自分が水を必要としているのか、知りたいと思います。